ロミーの怪談日記

路美子(ロミー)と申します。大学在学中。半創半実(半分創作半分実話)の怪談集です。実体験をはじめ、人から聞いた話や身近に起こった話など。

不穏なカップル

私が高校一年生の頃、クラスのある男女が付き合い始めた。男子の方はクラス内でも際立って騒がしくうるさいタイプで、対して女子の方は学年でも有数の可愛い女の子の一人だった。

私は特にどちらとも接点が無かったため、カップルの成立そのものに関しては何とも思っていなかったのだが、この二人、特に男の方が彼女にいつ何時も所かまわず寄って行ってはまさにベタ惚れといった感じで、正直通路は塞がるし話す声は大きいしで迷惑な男だった。

女子の方もまんざらではないと言った感じで、傍から見てもなかなか仲睦まじい二人だったと思う。

そんな中、二年に上るころのクラス替えで二人は別々のクラスになった。男の方は私と同じクラスになり、その頃から男は人が変わったように勉強熱心になった。もともとクラス順位も下から数えた方が早いです、というタイプだったのに、すごい変わりようだった。これは一体どういうわけなのか、彼と塾が同じの友人に話を聞いてみると、その例の彼女と同じ大学に入るために猛勉強を始めたのだそうだ。何とも胸がときめく話だった。

女子の方は入学当初から成績も優秀で、いわゆる才色兼備といった子だったから目指す大学のレベルも高かったのだろう。

教室もお互い廊下の端と端で完全に織姫彦星状態になったものの、男は相変わらず彼女のもとに通い続けた。あまりに足繫く通うものだから、何故か女子の方のあだ名が一時期「小町」になったという。女子の苗字は小野さんだった。

しかしある時、おそらく夏休みが明けたあたりから、男は休み時間も教室にこもって只管勉強に勤しむようになった。変わらず授業中などはうるさいし放課後も友人たちと騒いでいたから特段彼自身に何かがあったというわけでは無いのだが、どういうわけか、あんなに好きで好きでたまらなかった小野さんの存在感がぱたりと消えてしまったのだ。

ああ、もしかして別れたのかな、と勝手な憶測をたてていると、やはり二人は夏休み中にお別れをしていたらしい。あまりに彼氏がしつこいから嫌気がさしたのかなぁ、と思ったのもつかの間、どうも男の方から彼女を振ったという話だった。

これには私も理解できなかったため何人かの友人に事情を聞いて回ったが、誰も詳しい話は知らなかった。それどころか、文化祭が終わった頃に聞いた話によると、どうも女子の方に未練はなく、逆に男の方が未練たらたらだということだった。

自分で振ったにも関わらず変な話である。

そして時は流れ、三年に上がるクラス替えがあった。今度は別れた例のカップルが同じクラスになった。

これを機に案外上手くいっているのでは?と思い、彼らと同じクラスになった友人に状況を訊ねてみた。なんと、不思議なことに男が妙に元彼女のことを気にしていて、毎度の休み時間も自主的に教室を出ていくほど彼女を異常に避けるのだという。反面、やはり女の方は特に何も気にしていないようで、謎は深まるばかりだった。

その後も詳しい過程は知らないものの、私たちは無事に高校を卒業し、二人も別々の大学に進学した。彼女の方は県外の国立大学に進学し、彼の方は全国的にも有名な私立大学に進学した。どちらも申し分ない進路である。

だが、ここで平和に終わらないのが、私が彼らを不穏なカップルと呼ぶ由縁である。どうも、男の方は今の自分の進路に満足が行っていないらしく、それはどうも例の元彼女である小野さんの存在、具体的には、三年で自分と同じクラスに小野さんがいたことが原因なのだと考えているのだそうだ。

私もこの話をしていた友人もさすがに意味が分からなかったが、男はいまだに元彼女に対して迷惑な電話やらラインを繰り返しているらしく、彼女が住むアパートをどこからか割り出しては郵便物の中に不穏な手紙や荷物を紛れ込ませているのだという。しかもその郵便物には、何か人の手を加えて配達されてきた形跡が無いのだそうだ。要するに、男は片道三時間以上もかかる彼女の家に直接荷物を届けに来ているということになるのだ。

しかし、それでもやはり彼女はそれに対しても特に何とも思ってないらしく、今も不穏なものが届くアパートに住み続けているのだという。

黒い折り鶴(後)

いけないと思いながらも、トムはどうしてもそれを確認しなければいけないような気がして、糸から黒い折り鶴を一羽取り出しました。

そしてこれもいけないと思いつつ、鶴をもとの正方形の状態に戻したのです。

直感といいますか、そもそもがBに対して少しの違和感を感じていたわけですけれども。

ここで何故Bかと言いますと、陸上部の部員全員が鶴を折った中で誰もBがつくった鶴を見た人がいなかった、という事情があったからです。

しかも、誰にも折った鶴を見せないまま、最後に鶴をまとめて千羽鶴の形にしたのは他でもないBだったという話でした。

鶴を広げた時、ちょっとした衝撃でトムは思わず(ただの折れ目のついた紙と化した)鶴を落としそうになったのですが、すんでのところで空中キャッチを決めたらしいです。嘘か本当かは分かりませんが。

折り紙の裏側には、何か無数の渦のようなものが真っ黒なボールペンで乱雑に書き殴られていました。

 

続けざまにトムが他の黒い折り鶴の中身を調べると、他の折り紙にも全て同じような渦が描かれていました。描くというか、もはや執念のような、単なる作業によって形作られた記号の集合体のような。

とっさにBがやったんだろうな。と思ったトムは、やるせない気分の中千羽鶴の内部から黒い鶴の束を抜き取っていきました。Bに任せた百羽あまりの折り鶴は、すべて真っ黒な折り紙で作られていました。黒単体の折り紙なんてそう売っていませんから、ここまで集めるのにどれだけの時間と金と労力を費やしたかと思うと、部外者であるはずのトムもどこか悲しくなって仕方が無かったそうです。

この話をした時、トムは言いました。

もしかしたら、書かれていたのは渦じゃなくて「死」とか「呪」とかだったかもしれないんだよね。でもBはそういう文字は書かなかった。故意か無意識かは分からないけど、あの渦一つ一つにはBの負の感情が込められていたんだろうね。それがAの体調を悪化させてたってことかな。俺が黒い折り鶴を引き取った後は、Aもみるみるうちに回復していったよ。

 

その後、トムはAにもBにも黒い折り鶴の話はしませんでした。

Aが復帰した後も、二人は相変わらず仲が悪かったそうです。AはBが自分に対して何をしていたのか知らず、Bは自分がしたことをトムが知っていることも、もしくは自分が何をしていたのかも知らないままなのでしょう。

 

トムはこんなことも言っていました。

二人と小学校が同じの後輩に聞いたんだけど、二人とも、昔は仲がいい時期もたしかにあったらしいんだ。

たぶん、少なくともAはBのこと友達だと思ってたんだよ。ていうか、BにとってもAは友達だったと思うよ。

その点ロミーとりっこはいいね。小学校からずっと仲が良くて、無意識に相手の不幸なんて願ったことすらないでしょう。

 

皮肉にも、無意識なら分からないよなぁ、と思ったのはほんの秘め事です。

黒い折り鶴(前)

友人トムといえば、ということで思い出した話があります。

彼は中学時代陸上部に所属していたので、それ絡みのお話になります。たしか本人が後輩の話だと言っていたので、私が二年か三年の頃に起こったことだと思います。

 

私が通っていた中学校はかなり規模の大きな学校で生徒の数も莫大だったのですが、陸上部は何故かあまり人気が無かったようで、三学年合わせても部員はせいぜい十人くらいだったようです。

運動部ですので、やっぱり気になるのは総体だとか、レギュラーだとかでしょうか。私はそういうのに詳しくないので分からないのですが、トム曰く、私たちの中学校の陸上部は何せ異様にタイムを気にする人が多かった印象があるようです。トム本人としては、「部活は余暇で本業は勉強以外にあり得ない」といったタイプなので若干周囲とは熱量が異なっていたようですが、元の性格が大らかで頭のいい人なので部内の人間関係に悩むようなことも得に無かったみたいです。

しかし、傍から見ても明らかに犬猿の仲というか、ウマが合わないというか、とにかく互いをライバル視して常にタイムを競っているというような困った後輩女子が二人、部内にいました。

便宜上この二人の名前をAとBにしておきます。

トムから見てもAとBの実力差は五分五分といったところで、若干Aの方が優秀かな、程度でした。しかし問題なのはそこではなく、二人のどうしようもない仲の悪さです。

部活中だけでなく、休憩中や合宿中にも明らかにギスギスした空気が漂っていて、それに耐えきれず退部の相談を持ち掛けた部員もいたという話です。

そんな中、夏の総体を直前にしたところでAが交通事故にあって入院しました。自転車での下校中、死角から飛び出してきた車と接触してしまったようです。骨が折れているらしく、総体にはたぶん出られないだろうということでした。

そして、それからお決まりの流れで陸上部ではAのために千羽鶴を折ろう、といった流れになったようです。これは私もトムに頼まれて何羽か鶴を折ったのでよく覚えています。トムは自分に渡された100枚あまりの折り紙を何人かの友人に分散して配り、放課後の教室でせっせと鶴を折っていました。

Bはというと、この企画には参加しないのかと思いきや、結局他の部員と同じように担当分の鶴を折ったという話です。

 

後日、その千羽鶴を部長と顧問がAのもとに届けに行きました。この時のAは入院中の病人とは思えないほど元気で、顧問のくだらない冗談にも声を出して笑える程でした。

しかし、数日ごとに誰かしらがお見舞いに行くうちに、だんだんとAの様子が変わっていっているのが分かったそうです。友人が話しかけても上の空で、怪我はほぼ治っていっているはずなのに顔色は悪くなる一方なのです。

 

Aが入院してから2、3週間がたったころ、皆とは少し遅れた頃合いでトムと陸上部の友人がお見舞いに行きました。

談話室に現れたAは、他部員の話通りだいぶ衰弱しているようでした。出された病院食にもほとんど手を付けず、目は虚ろでトムらが話しかけてもしばらくはろくな反応を示さなかったそうです。

やっとAが口を開いて発した言葉は、「すみません」でした。そして、「何か飲み物持ってきます」と覚束ない足で立ち上がると、自分の病室に戻ろうと踵を返すのでした。

「大丈夫、いいから。俺向こうの自販機で買ってくるね」

友人が立ち上がろうとすると、Aは「皆が持ってきてくれるのが、たくさん余ってるんです」

と、何やら二人の間で謎の攻防戦が始まりました。

「俺が持ってくるよ、どこにあるの?」

他の患者の目もあり、どうにかその場を丸く収めようとトムは立ち上がりました。

部外者がのこのこと入っていいのか、といった不安はあったらしいけれど、すれ違う看護師からも特に何も咎められなかったため、トムはそのままAの病室へと向かいました。

 

Aが言っていた飲み物は、ベッドの横にある小型の冷蔵庫に押し込められていました。トムはその中から適当に3本ペットボトル取り出してすぐさま談話室へと戻ろうとしたのですが、ここで妙に枕もとの千羽鶴が気になったのです。

一見鮮やかな千羽鶴ですが、トムが何気なく鶴を触っているうちに中の方から真っ黒な塊が姿を現しました。

千羽鶴って、何羽かを糸に吊るしてそれを最後に束ねて作るじゃないですか。そして、大抵見た目が良くないので黒とか灰色とかの鶴は外しておくんですね。

でも、トムが色鮮やかな鶴をかき分けてみると、中から真黒い鶴の塊がごっそりと出てきたそうです。異様な雰囲気で、たまたま混ざったわけでは無いことは明白でした。これにはトムもだいぶ不審に思ったようで、黒い鶴の一束を抜き取り、それをよく見てみようと考えたようです。

 

後半に続きます。

行ってはいけない教室③(怪異)

緊迫した雰囲気の二人の肩の間に顔を覗かせて、私は「何かあった?」と訊ねる。

黙ったままの二人を疑問に思いながらも、私はそっと膝から立ち上がり、下から乗り上げるようにして中の様子を覗き込んだ。

二人が何を見たのかはすぐに分かった。

埃っぽい、長い間使われていなかったことが容易に分かるような教室の後方部には、ビーカーやらフラスコやらが並べられた棚がいくつか縦に並んでいて、その隙間に、黒い靄みたいなものが脈打つように蠢いている。雨雲のようなそれは、一度見た限りでは見間違いとも、光の錯覚ともとれるような曖昧なものだった。

しかし、私は何故だかそれに魅入られたようにじっと黒い何かを見ていた。足元で二人が私の手を引いていることすら煩わしかった。

何度か瞬きを重ねると、塊はだんだんはっきりと視覚化するようになり、駄目だと思うほど瞬きの回数は増え、間隔も狭くなっていった。

そして、ついに手足のようなものが見え始めた。それどころか、輪郭らしき影も見える。

男か女かも分からない、だんだんと人間の形に近づいてくるそれは、目も口もないのっぺらぼうのような顔をこちらに向け、じっと様子を窺っているようだった。

「行こう」

制服の袖を掴まれて、私は我に返った。私の背後でトムとりっこが立ち上がっていることにも気づいた。うん、と私は返事をする。

何気なくトムは教室の中に視線を向け、信じられない、といった面持ちで僅かに息をのむ音を立てた。トムの様子を見て、私とりっこも振り返る。

男女の区別はつかないと言ったが、それは間違いだった。

女だ。

女が私たちの方に身体を向け、その体はどんどん大きくなっていく。

近づいてきている。

りっこの悲鳴に急き立てられるように、私たちは無我夢中で階段まで引き返した。また、窓から入る生暖かい風が頬を撫でた。

角を曲がる際に教室を振り返ると、パーツのない黒い顔が、透明のガラスに張り付くようにして私の方を見ていた。

 

転がるように、私、りっこ、トムの順番で階段のバリケードを乗り越え、ずれた机の位置を戻すこともせずに元来た裏口へ急いだ。外のぼんやりとした光が、りっこがつくった隙間から漏れているのが見えた。

私は扉を押さえておいたバケツを蹴飛ばしながらも何とか外へ逃げ出し、続けて二人も息を切らしながら飛び出てきた。最後に出てきたトムが、ギッと音を立てて思い切り扉を閉める。私たちはお互いの無事を確かめるように顔を見合わせた。

転がったバケツからは落ち葉や木の枝が浮いた汚い水が地面に流れ、底には真黒く腐った木の札が沈んでいた。

 

帰り際、「もう帰ろうかな」と塾を諦めたらしいトムがぽつりと呟いた。

「最初はやる気だったくせに。一人で先に行っちゃってさ、早く来ーいって張り切っちゃって」

「そんなこと言ってない」

「そりゃ来いとは言ってないけど、私たちがもたもたしてたから階段から呼んだでしょ」

りっこはトムをからかうが、トムは怪訝そうに眉をひそめたまま「呼んでないけど」と首を傾げる。

まあ、どっちかの勘違いだよ。と例の教室の存在が後ろ髪を引いたのか、トムはつい、といったふうに別棟を振り向いた。そしてすぐに、何かを後悔したように顔を覆って項垂れてしまう。

見るべきでないのは分っていたものの、私とりっこもつい背後に視線を向けてしまった。理科室の窓の中は外よりも少し暗く、その中には明らかに濃い影が浮かんでゆらゆらと揺れていた。揺れる、いや、手を振っている。

それに気づいた途端、私たちは何も言わず駆け出した。自転車を取りに本校舎の表まで回ると、いつかの噂の対象であった池永が不審そうに私たちを見て歩いてくるのが見えた。

「早く帰れよー」とわざとらしく低い声に妙な安心感があって、そこでやっとこちら側に戻って来たのだと確信できたのを覚えている。

行ってはいけない教室②(異変)

部活が終わり東棟から出ると、大きな石の柱にもたれかかって理科の問題集を広げるトムの姿があった。立ったまま問題を解く人なんて初めて見たな、と感銘を受けながら、「おまたせ」とりっこ共々駆け寄る。

「俺、半までには学校出る。塾に遅刻するから」

と、やはり根が真面目の優等生はカバンに問題集とシャーペンを押し込む。

 

別館の裏口付近に到着すると、今朝話していた廊下へと繋がる窓があった。

やや興奮気味に窓に手をかけるが、聞こえてきたのは「あれ?」というりっこのすっとぼけた声だった。

「開かない」

その一言で一気に全身の意欲と活力がそぎ落とされたのを覚えている。

「見回りの先生に閉められたんじゃない?」

「そういえば今日の放送池永だった」

池永は生徒指導の先生の名前だ。常にアディダスのジャージで、木刀ではなく拡声器を持ち歩く風変りな先生。よく怒るし、怒ると怖い。放課後の放送も兼ねる先生内の日直は今日がたまたま池永の番だったらしく、その池永の手によって戸締りの際に鍵を閉められてしまったらしい。

「仕方ない、帰ろ」

すぐに見切りを付けたトムとは裏腹に、りっこは「待って」とトムと私を呼び止める。

「開いてる」

「今開かないって」

「そうじゃなくて、こっち」

りっこが裏口の扉のドアノブを捻ると、にい、と音を立てて扉がゆっくりとこちら側に迫って来る。

「開いてるじゃん」

「ちょっと誰、鍵開いてないとか気取ってたのは」

りっこに睨みつけられたトムは(というより睨まれ慣れたトムは)さっとりっこを無視して別館の内部へと入って行ってしまった。

「電気はつけないほうがいいね」とトムは先を行くが、私はりっこの後ろに張り付いてそろそろと中へ足を踏み入れる。意外に肝が据わっているトムと、世の中の全てが楽しくて仕方ないといったタイプのりっこがたかだか別館の暗がりを怖がるわけもなく、何故か至って普通の反応をしている私が空気読めない、みたいになってるのがどうにもいたたまれなかった。

「あ、ねえロミ。この扉半分開けとかない?」

「何で?先生に気づかれたらどうするの」

「そうだけど」りっこは私の制止も聞かず扉を半分まで開き、扉が動かないようたまたま外に転がっていたバケツを置いた。

「よくあるホラーゲームのお決まりみたいにさ、扉が開かなくなって私たちでデスゲームすることになったら嫌でしょ?」

しないでしょ、とは思ったがりっこの顔と声音は真面目だ。

これが他の友人なら呆れかえっただろうが、りっこだから仕方ない。

おーい、と階段の方からトムの、いつまでたっても姿を現さない私たちを呼ぶ声が聞こえた。

 

三階へと続く階段の前には、噂通りの厳重なバリケードが敷かれていた。

ただ厳重にとはいえ乗り越えられないほどではない。教員用のテーブルが板を合わせるように重ねられ、それが二つ横に並べられている。足元に分厚い板が敷かれ、足がすり抜けないタイプの机だから、これだけでかなり圧迫感がある。机の向こうの階段には三角コーンや古い教科書の束なんかが散乱していて、一見障害物競争よりも質が悪い。

「上の机を滑らせて動かせば隙間から乗り越えられる」

当り前のようにトムが言うと、あっという間に人が通れる隙間を開き階段に着地する。三角コーンが倒れる音が薄暗い廊下にカン、と響いた。

「この間先輩が階段から100万のチューバ落っことしてへこんでたよね」

りっこのどうでもいい雑談に、「どっちが?」とトムが冷静に聞き返す。

 

階段をのぼり、入ってはいけない教室があるフロアに辿り着くと、どういうわけか生暖かい風が吹き抜けた。

向かいの窓が不自然に開いている。

それもほんの少しだけ。

「もしかして誰かいる?」

「いても何のために窓なんか開けるの。下の机も動いてなかったし」

トムは教室の方へと続く曲がり角からそっと顔を左に覗かせた。

「昔は理科室だったんだね」

トムの指先には、理科室と書かれたプレートがあった。

「何で理科室?」

トムとりっこが躊躇わず理科室に近づいていくのを、私は少し遅れ気味に腰をかがめながら二人の後をついて行った。

ドアの透明になったところから中を覗き込む二人に続いてつま先を立てようとすると、「ロミー待って」とトムに遮られる。

「しゃがんで」とりっこの指示に従って、私たちは一つの玉になったように一斉にその場にしゃがみ込んだ。

行ってはいけない教室(計画)

私が通っていた中学校には、入ってはいけない……というより、誰もそこに何があるのか知らない、といった不思議な教室があった。その教室は、体育館やクラブハウス(という名の部室棟)に続く渡り廊下に接続する、別館と呼ばれる建物の三階に存在していた。

とはいえ、別館自体には用があれば授業中に使うことも何度かあり、一階には階段状になった大規模なコンピュータ実習室、二階には柔道部が使用しているらしい武道場があったと記憶している。

三階に繋がる階段にはバリケードのようなものが設置され、それ以上は進めないように厳重な警備が敷かれていた。聞いた話では、バリケードを乗り越えて三階に上がろうとしたところを見つかった生徒は、先生にこっぴどく叱られ、親まで呼ばれる事態になったとか。先生に聞いても、ただの倉庫だと説明されるだけで、実際のところは誰も実態を知らないというのが現実だった。

外から見上げてみても中の様子は分からないし、いつの間にか幻の教室は中学校の七不思議の一つとしていつしか浸透していったとのことだ。三階教室には死体が隠されているとか、もしくは異世界に繋がるゲートが隠されているとか、現実的なところだと屋上に続く梯子があるから安全を考慮して封鎖しているとか、とにかくいろんな話が蔓延っている状態だった。

そんな中、その幻の教室の正体を確かめようと密かに計画を練っていたのが我が末代までの親友りっこ、そしてその話に便乗したのが小学校からの友人Tだった。普段ジェリーの愛称で呼ばれることの多いTだが、私は断然トム派であるため、このTという男のことは今後トムと明記することにする。(余談)

昔から成績も良く典型的な真面目系男子のトムは一見やんちゃをしそうなタイプではないが、実際のところはお馬鹿なことに突っ込みたがるお子様、というのが本人きっての分析だった。

作戦は中学一年の六月、登校中の自転車の上で練られた。雨が多い梅雨の時期はバスで学校に行くことが多くなるのだが、この日はおそらく天気が良かったのだろう。家が比較的近い私たち三人は、ちょうど通学ルート上のファミリーマートの交差点で鉢合わせ、一緒に学校まで行くことにしたのだ。

「前に強行突破で行こうとした時は、先生に見つかって大変だったんだよね」と話すりっこは、自転車で私の斜め前を漕ぎながら首を竦める。あの噂の元凶はお前か、と突っ込みつつ、私たちはりっこらの話に耳を傾けた。

「私だけじゃないって。これまでに先輩が何人も挑戦したけど全部失敗だったんだって。なんか、渡り廊下の方から普通に入るんじゃ駄目で、裏口の扉とかから入らないと監視カメラに映るんだよね。対不審者用のカメラ、門のところの」

私の後ろから、トムがスピードを上げながら自転車を走らせて、そのまま私の隣に並んだ。

陸上部のトムは心なしか自転車を漕ぐフォームも綺麗だった。

「裏口も駄目だよ、そもそも鍵開いてないし。無理やり開けたらバレた時大変だろ」

だからさ、と続けざまにトムが言った。

「中から窓の鍵を開けておいて後から普通に忍び込めばいいんだよ。裏口の向こうに廊下に繋がってる窓があっただろ。あそこから入れるんじゃない」

頭のいい人は悪知恵も働くんだなあ、と私が感心していると、「それ私が開けるの?」と如何にも面倒くさそうなりっこがぼやく。悪いことをするのは好きなくせ、そのための下準備は面倒という何とも厄介な性分なのだ。

「別に俺がやってもいいんだけど、りっこのクラス今日コンピュータ室使うんじゃない。そのついでに開けてきなよ」

りっこの性分を上回るトムのカリスマ性(?)と誘導力(?)で、あっさりと別館に侵入する手筈は整った。あとはりっこがちゃんと窓の鍵を開けてくれるだけだ。

「じゃあ、今日部活終わった後東棟の入り口のところで待ち合わせしよう。たぶん俺の方が早く終わるから」

そう言って、トムは私とりっこを追い抜いてあっという間に先へ行ってしまった。

向こうでジェリー、とトムを叫ぶ男子たちの声が聞こえてくる。

「トムがジェリーになった」

ロミはトムとジェリーどっち派?とりっこが尋ねるものだから、わたしはやはり「断然トム派」と意気揚々と答えた。

異世界に行きたいりっこ

りっこは都市伝説だとか、怪談だとか、そういうオカルト的なお話が大好きだ。りっこと私は幼稚園の頃から親交があるが、お互い大学生になった今でもそれは変わらない。たいてい意志の弱い私がりっこに連れられ、心霊体験に巻き込まれたりいわく付きの場所などに連れていかれたりするのだ。

しかし、今回は少し状況が違った。

りっこはある金曜日、真昼間から私に電話を寄こしてきた。私は現在時間割の都合上、金曜日に授業が無いため電話に出ることが出来たのだが、私はそれをりっこに伝えた覚えがなかった。

変だな、と思いながらも、もしかしたら無意識に言っていたのかもしれないと私は特別気にすることも無く携帯を耳に当てた。

「あ、もしもしロミ」りっこの興奮した声が聞こえた。

どうしたの、と私が言うよりも先に、りっこは「異世界に来ちゃった」と嬉しそうに話し出した。

は、異世界。と怪訝に思ったものの、とりあえず私は続きを促す。

「ねえ、小学生の時にさ、異世界に行く方法って流行ったの覚えてない?」

そういえば、そんなこともあっただろうか。

たしか白い画用紙と赤い口紅か何かを使うのではなかったか。白い画用紙に大きく魔法陣やら六角形を描いて、真中に「異世界行き」と黒いマジックで切符のように書く。そしてそれを枕の下に敷いて寝ると、朝目覚めた時には異世界にいるというのだ。

異世界とはいっても、どこか微妙に現実と比べ違和感があるという程度で、あからさまにドラゴンが飛び交ったり魔法が使えるという話ではなかった気がするが。

ただ、その赤い口紅というのに自分の血を少量混ぜなければならないとかいう条件付きで、当時やろうとする子供も気が引けるのかなかなか現れなかったのだ。

それを今になって?と甚だ疑問ではあるが、りっこならやりかねないなとも思った。

「それで、何で異世界だって分かったの?」

「紙がなくなってたの!」

りっこは今にも駆け出しそうなくらい声に熱がこもっていた。

そうだ、たしか起きた時に紙がなくなっていれば成功なのだ。

けれど、帰りの切符はどうするのだったか。行くときに帰りの分も用意しておかなければならないのではなかったか。

私はその旨を電話越しのりっこに伝えようと、「ねえりっこ」と声をかけた。

しかしりっこは「ごめん!弟が呼んでる」とだけ言い残すと、嵐のような電話はぷつんと切れてしまった。切れる時に、遠くで「おねえちゃん」と男の子の声が聞こえた。

これはまずい、と焦りで心臓が高鳴り全身が熱を帯びるのを感じる。

私はもう一度りっこに電話をかけた。

しばらく出ないかも、と不安になったのもつかの間、「はぁい?」と間の抜けたりっこの声する。

「ちょっとりっこ、帰りの切符はあるの」と切羽詰まったこちらとは裏腹に、「私定期通だけど」とまるで話がかみ合わない。

異世界は?」と聞くと、「異世界?」と不思議そうだ。

私は今のりっことのやり取りを本人に伝えた。話終わった後に冗談だと笑われることも覚悟していたが、何せ話が進まないので仕方がない。

「それ私じゃないよ」

りっこは不審そうにこたえた。

電話の向こうからざわざわと人の声が聞こえてくる。

「今大学だし、それに私兄しかいないじゃん」

その言葉で、私はふと我に返った。狐につままれたかのように、自分が今まで何をしていたのか急に自信が持てなくなった。

「大丈夫?」本当に心配そうなりっこに私は「うん」とも「ああ」ともつかない微妙な返事をした。

「だいたいロミ、大学生になってまで遊びに自分の血使うとかありえないでしょ」

呆れたように笑うりっこに一通り謝った後、私はそろそろと電話を切った。

違う世界線の、りっこからの電話ってことかな。と、しばらくぼんやりとそんなことを考えていた。