ロミーの怪談日記

路美子(ロミー)と申します。大学在学中。半創半実(半分創作半分実話)の怪談集です。実体験をはじめ、人から聞いた話や身近に起こった話など。

金縛りの家系②

A君は語り始めました。

俺さ、この間卒業旅行に行って来たんだよね。九州なんだけど。九州ってさ、うちの本家?があるところじゃん。だからだと思うんだ、俺がわざわざ近づいたから。

俺、金縛りってそれまでなったこと無くて。友達が面白おかしく話してるのは聞いたことあるんだけど、それが心霊現象だとか思ったことはないんだよね。だってほら、もしそれがそういう類のものだったとして、動けなくなるぐらいどうってことないじゃん。そのまま寝てればいいんだから。

 

饒舌なA君が珍しくて、うんと私は頷く。

 

それで、卒業旅行の話なんだけど。三月に友達と四人で行って来たんだ、九州(県名は伏せます)。ラーメンとか食べたり、温泉とか水族館とか行ったりして、いろんなところに行って、たぶん三日くらいいたのかな。二泊ともビジネスホテルみたいなところに泊まって、二人ずつに分かれて寝たんだよ。俺とJっていう友達が非常階段の近くの部屋で寝て、俺が壁側のベッドで寝たのかな。ほんとに狭いベッドだったから、二つで一つみたいなベッド何だけど。日付が変わるぐらいには寝て、疲れてたからその時はすぐに寝れたの。でも何でか夜中俺だけ目が覚めちゃって、別にトイレに行きたかったわけじゃなくて、ぱっと現実に引き戻される感じ。スマホで時間確認しようとして、そしたら動けないんだ。よほど疲れてるんだなって思って、でも頭だけは動かせたから、何気なくJの方見たの。

 

そこでA君は一旦黙ってしまう。いるんでしょ、何かいたんでしょ、と思いながら私も黙って続きを待った。

 

いた。Jの真上に、女がいた。長い髪に隠れて顔は見えない。宙に浮いてて、ユラユラとかはしてなくて、でも小刻みに揺れてるような気がして、着物着てた。赤い着物。

 

赤い着物って、さっきおばさんが話してた座敷童の話と同じではないか。赤い着物、別に珍しい色ではないけど。何なら、私が七五三で着た着物も赤い着物だったし、私が昔見えていた座敷童の着物も赤かったような気がする。

 

怖くなってJを起こそうとしたけど声がでないし、Jも何だかちょっと薄ら笑ってるような気がして、怖くなってそのままじっとしてた。そしたら、インターホンが鳴ったんだ。もしかして向こうの部屋で寝てる二人かもって思って、でも動けなくって。急に、自分の後頭部が気になったんだ。気配を感じて、頭だけ動かして壁の方を向いた。いたよ、女の顔だけ。俺の顔のすぐそこに。にやにや笑って、頬がはち切れるくらい口角上げて、やっと気づいてくれたってみたいに嬉しそうに。たぶん俺はそのまま気絶したか何かして、気づいたら朝だった。Jはもちろん何も知らないって言うし、他の二人もインターホンなんて鳴らしてないって。帰る時に壁にかかった絵の裏側が気になったんだけど、怖くて見れなかった。お札があっても怖いし、無くても怖い気がして。

 

話し終わって、A君は疲れたようにはあ、と大きな声を出した。

「そのホテルさ、ネットとかで調べたりしなかったの?幽霊、とか心霊現象、とか案外出てきたりするんじゃない?それか過去に事件があったりさ」

提案しながら、私の手はポケットのスマホに伸びていた。このまま検索をかけようと思ったのだ。しかしA君は暗い顔をして、その上ため息なんかもついたりした。

「もしロミちゃんが俺だったらさ、自分が泊まったホテルにいわくがあったかなんて知りたい?」

知りたくないです、と半ば本音で答えて、私とA君は祖父母の家の玄関の付近に辿り着いた。家系かなあ、と私が言うと、やな家系だねとA君は気取って言った。家に入る時、隣の店に繋がる方の門の方に、一人男の人が立っていた。「お店、今日は閉まってますよ」と声をかけると、男の人は顔を上げた。偶然にも、男の人はにやにや満面の笑みを浮かべていた。頬がはち切れそうなくらいに口角を上げて。

何が怖いって、口元は異常なほど笑っているのに、目元は全くの無表情だったことだ。

金縛りの家系①

「昨日金縛りにあってなあ」と祖父が話し出したのは、私やいとこの家が一同に集まった盆の日の夜だった。また始まった、と従弟のA君が部屋の隅で漫画を広げているのが視界に入ったが、特にすることも無かった私は枝豆の残りをつまみながらひとまず祖父の話を聞いてやることにしたのだ。

父方の祖父母の家は一昨年建て替えたばかりの新築で、それまでは隣にあった祖父が経営している日本料理店の二階を住居にしていた。店に住んでいたころも心霊体験は度々聞かされていたが(何よりそこで育った父から散々話を聞いていた)、家を建てたところで改善が見られなかったことからして、原因は建物ではなく土地自体か家系にあるのは明らかだった。

祖父は、いつものように二階の布団で眠っていたらしい。しかし、寝る前に林檎ジュースを飲みすぎたからか、猛烈な尿意で目が覚めてしまったのだという。

「もしかしたら小豆バーを二個食べたからかもしれん」と祖父が脱線すると、「いいから続き」とA君が促す。

トイレに行きたいのに、体が動かないんだ。縄で縛られたみたいにな、と祖父は手を体の横に這わせてピンと伸びた仕草をする。

「そしたら耳元で急に、おっぱいアイスがいい……って子供が囁いたんだ」

その言葉で、真剣に聞いていた祖母や従妹もくだらない、といった表情になる。ただオチにおっぱいアイスが言いたかっただけじゃないか、と。

「だけど金縛りは本当にあったんだ」

もはや祖父の言葉など誰も聞いていない。

「そういえば、俺も昔自分の部屋で金縛りにあったことがある」

懲りもせず、次に声を上げたのは私の父だった。

「高校の時だったかな?布団で寝てたら急に全身が動かなくなって、周りを誰かが走り回ってる音がするんだ。着物を擦る音がしたから、あれはたぶん座敷童だな」

「それ私もあったよ。中学の時。赤い着物でしょう」

A君の母、私の父の妹が話に乗っかった。

「いやあ、色までは見てないけど」

「あれ、でもたしかおばさんこういう話苦手だったよね」と私がつっこむと、「座敷童はいい妖怪でしょ、商売の味方だから」だそうだ。

「なら何でうちは儲からないのかねぇ」と祖母が呟いたことで、皆の笑いの中この話は幕を閉じた。

 

だいたい、と近所のコンビニへ買い出しに行った帰り、ジュースとお菓子を詰めた袋を振り回しながらA君は言う。

「金縛りなんて最近じゃ怪談のネタにもならないよ。脳は起きて体が眠ってるとかいう話でしょ。科学的に証明する人が多すぎてその手の心霊番組もやりづらいだろうね」

ロミちゃんもそう思わない、と話しかけてくれるのはいいのだが、年頃なこともあって普段あまり喋らないA君が、この日ばかりはお喋りなのが少し気になった。

「何か今日はよく喋るね」

「なんかあった?」と尋ねると、少しだけ沈黙が訪れる。

「金縛り、なったことある?」

一応、と返すと、「俺も」と呟くようにA君はこたえる。

「ちょっと聞いてくれない。たいした話じゃないけど」

物静かなA君が妙に饒舌なのは、その話とやらをしたかったかららしい。

それから、A君は非科学的な金縛りの話を始めた。

異空間への扉

昔父に誘われて、地元のアクティビティ施設に行ったことがある。そこはビルのように高い建物で、冬場は必ず風邪を移されるからと母は絶対に連れて行ってくれなかったのだが、その日は夏休みだった。夏でも風邪はひくのよ、とやや潔癖のきらいがある母は文句を言いながらも、私たちが遊びに行くことに渋々許可をくれた。

父のお目当ては、建物の最上階にある夏季限定のお化け屋敷だった。私はあまり乗り気ではなかったのだが、施設内の他の遊具で遊ぶのは楽しいし、帰りにアイスを買ってくれると言うので連れて行ってもらうことにしたのだ。

「誰か友達も誘うか?」と父が言うので、私は父とも面識がある友人のりっこを誘った。

父の車で施設に行き、その間私とりっこはDSでゲームをしていた。「酔うぞ」と父の忠告も無視し、私たちはたまごっちやどうぶつの森で遊んだ。

施設に着いてすぐ、父は私たちに「先に上に行っといて」と言った。何故かと尋ねると、どうやらお化け屋敷の入場チケットは一階の受付を介して手に入れるらしく、どうせ上は混んでいるから先に行って並んでおいてくれ、ということらしい。

私たちは奥のエレベーターに乗り込み、上へ行くボタンを押した。「屋上まで行くんじゃないぞ」とのことだったので、そこは十分に気を付けた。

受付の混雑に反して、エレベーターには私たち以外誰も乗っていなかった。

「楽しみだねえ」とりっこは目を輝かせるが、私はそんなことより帰りのアイスの方が楽しみだ。バニラにしようか、それともここはチョコだろうか、と一人アイスに思いを馳せる。(父の言うアイスとはたいていサーティワンのことだ)

チン、と音が鳴り、エレベーターのドアが開く。

「あれえ」とりっこは素っ頓狂な声を上げた。その声につられ、私も外に視線を向ける。

「全然人がいない」

扉の向こうには通路を挟んで壁があった。ここで開催されているはずの、お化け屋敷のポスターが二枚貼られている。

「早く出て」エレベーターボーイのような、しかし格好は清掃員のような工事のおじさんのような、古臭いツナギを着た男が、物陰からぼそっと私たちに声をかける。

あっ、ごめんなさい。と私たちが飛び出すと同時に、エレベーターの扉はゆっくりと閉じられる。「あっちね」男は通路の向こうを指さす。

何か変だぞ、と私の拙い勘がそう告げていた。

男に示された方を、りっことしがみつき合いながら進んでいくが、特に何が起こるわけでもない。それに、やっぱり誰もいない。しばらくして突き当たりが見え、どっちに行くかで意見が割れる。「右だよ」後ろから男の声がする。

言われたまま進んでいくが、次の突き当たりに着いてもやはり何も起こらない。「次も右だよ」りっこが右に行こうとして、私は「待って」とりっこの腕を掴む。

これ以上進んでは駄目。少なくとも右は駄目。だって。

私は音をたてないようにゆっくりと奥を指さす。

りっこに服を引かれ、私は影に身をひそめた。

「何あれ……お葬式?狐?」

右側には、黒い着物を着た数人の集団が列を作ってこちらに向かってきていた。そしてその顔には、皆灰色の狐の面が付けてある。いや、そもそも顔が狐なのだろうか。

突然のパニックに思考が安定しないまま、私は「戻ろう」と囁く。

うん、と素直なりっこだが、明らかに黒い着物(今思えばあれは黒装束だ)の集団に後ろ髪を引かれている。

もう、と強引にりっこの腕を引っ張ると、黒装束の集団は私たちの存在に気付いたかのように突然歩くスピードを上げた。来る。

私たちはとにかく走り、もとのエレベーターのところまで戻って来た。男はもういなかった。

ボタンを何度も押し、早く来てと心の中で祈る。

「ねえロミー」

横に振り向くと、黒装束の集団が丁度通路の角を曲がって来た。ぎゃあ、と私たちは一緒に悲鳴を上げる。ふと、先頭の狐の手元の遺影に目が移った。顔はよく見えなかったが、何となくさっきの男に似ているような気がした。

チン、と音を立てエレベーターが開く。転がるように中に乗り込み、ボタンを連打すると幸いにもエレベーターはすぐに閉まってくれた。

 

それから、私たちは一階へと戻って来た。入れ違いで他の人たちが乗って来るが、皆私たちの顔面蒼白具合に不思議そうな顔をしていた。

「何だ、まだ行ってなかったのか」

父が向こうからやって来る。

たった今経験した出来事を話して聞かせるが、父はいまいちピンときていないようだ。

「今年のコンセプトは口裂け女じゃなかったか?何だ狐って、こっくりさんか?」

とにかく来てみれば分かるから、と父を連れてさっきと同じ階へ向かったが、迎えてくれたのはツナギの男などではなく、可愛らしいメイドのような恰好をしたお姉さんだった。正面は壁などではなく、広いホテルのロビーのような空間だ。順番待ちの列がぐるぐるとうずを巻いているのが見えた。

「何が狐だよ。お前たち、ゲームばっかしてるから酔って変な幻でも見たんじゃないか」

そんなはずない。と思ったが、だんだん実はそうなのかも、と思い始めてきた。周囲のざわめきに身を任せていると、まさに狐につままれたように錯覚してしまう。

「まあいいや、行こうロミー」

唯一の共同体験者であるりっこも、能天気に列へと並んでしまう。このころからりっこはこんな感じだ。メンタルが強くて、好奇心旺盛で切り替えが早い。

たしかこれは、私たちが小学二年生の頃の話。

階段の怪異

私が通っていた小学校の階段にまつわる怪談話を、小学四年生の時に担任の先生から聞いたことを覚えている。

学校の校舎の階段の、二階から三階にかけての踊り場の上部には小窓があるのだが、それが見栄え上設置されたものなのか、一体どういう意味があってそこにあるのかは誰にも分からない。しかし、その小窓は校舎がまだ新しかったころからずっと薄暗い階段に光芒を散らしてきたという。

その昔、小学校にはこんな怪談話が流行していた。

真夜中の二時半、小窓から月の光が差し込まない新月の日に校舎の中から小窓を覗き込むと、外に広がる異世界を見ることができる。異世界には老婆が立っているから、老婆と視線が交わらないうちに小窓から目線を外さなければならない。でないと見た者は老婆に異世界へと連れ込まれる。そんな話だった。

昔の怪談にしてはやけに今時風と言うか、なかなかよく出来ていると思った。

ある新月の日、二人の男子生徒がその噂を確かめようと真夜中に校舎へと忍び込んだのだそうだ。その日返されたテストの点の低かった方が小窓を覗くということで、僅差で高かった方の生徒が下で肩車をすることになった。

下の生徒は、上になった友人が「見えた、歪んでる」だとか「ばあさんがいる」などという嘘くさい報告をするのを、あまり本気にしないまま聞いていた。こっくりさんでわざと十円玉を動かして場を盛り上げようとする人間がいるのと同じで、怪異の検証では如何に自分たちで雰囲気を出せるかが決め手だというまである。

だから下の生徒も、「じゃあ早くばあさんと目を合わせてみろよ」と催促したが、上の生徒は「早くおろしてくれ」と過剰に藻掻きだす。ノリがいいのは結構だが、あまり動くと落としてしまいかねないので本当に洒落にならない。

分かったよ、と下の生徒が屈もうとしたところで、ふっと肩の重さが消える。思わぬ重量変化にバランスを崩し、生徒は思い切りその場に転んでしまった。

目の前には上の友人が脱ぎ捨てた上履きが転がっていたが、肝心の友人の姿は見えなかったという。

隠れているんだろうと、そうであってほしいと願いながら友人の名を呼ぶが、普通、階段に人が隠れるような場所なんて無い。それに、どこか隠れられるところまで移動したとしても、階段を駆ける音は聞こえるはずだ。

友人が突如消えてしまったのだと悟った生徒は、覚束ない足取りで学校を出て家に逃げ帰った。冒頭の話は、その下になった生徒の証言をもとに語り継がれているという話だ。

ハズレくじを引かないために勉強をしろ、という教訓のように聞こえなくもないが、私はこれこそが現在も母校で語られている七不思議の一つ「真夜中の小窓に映る男子生徒」の原型なのではと睨んでいる。

急がば回れ

中学生の頃の話。ただでさえ練習時間が長い吹奏楽部に所属していた私は、少し帰りが遅くなると冬場などは特に真っ暗闇の中自転車を漕いで帰宅せざるを得なかった。

その日も自主練のためいつもより帰りが遅くなり、私は友人のりっこと一緒に暗い夜道を二人並んで帰っていた。

道中、「こっちの方が近いんじゃない?」とりっこが急にブレーキをかけ、危うく私は

真後ろからりっこに突進しそうになる。

りっこが指し示した道は、普段私たちが通ることのない如何にも裏道といった感じで、薄暗いというよりはどっぷりと深い闇が包みこむような陰鬱な暗さ。

たしかに、その道を通ればいつも通る道を大幅にショートカットでき、おそらく私とりっこが別れる大通りに繋がっているのだろうが、それにしても暗い。暗いし怖い。

けれど、その日は真冬真っただ中ということもあり、そもそも自転車で風を切って進むのはすごく寒い。どんな道でもいいから、出来れば早いところ帰ってしまいたかった。加えて、今はりっこも一緒なのだから多少何か問題が起こったとしても一人で震えあがるなんてことにはならない。そう思った私は、りっこの提案を受けて、いつもは通らない近道に自転車ごと潜り込むことに決めたのだ。

裏道は、アスファルトで舗装されていないデコボコとしたあぜ道だった。誰が手入れしているのかも分からない、寂し気な田んぼの横を、私とりっこは並んで進んでいった。お喋りに気をとられていて気が付かなかったが、いつの間にか私たちは墓地の横を進んでいた。

とはいえ、墓地は墓地である。単にお墓が並んでいるだけで、特に怖いということもない。知らない土地の大きな霊園ならともかく、地元の小さな墓地ならなおさらだ。

しばらく進むと、道が二股に分かれていた。さあどちらに進むべきか、という話だが、私は何となく体感で右ではないかと思った。そのことをりっこに言うと、「えっ、左じゃないの?」とまるで意見が合わない。

「じゃあ私左行くから、ロミは右に行って。行き止まりだったら残念ってことで戻ってきたらいいよね」

ということで話がまとまり、私は自分の予想通り右に向かって進むことになった。行き止まりになって引き返すのは嫌だが、たぶんどっちに行っても大通りの方に繋がっているのではないかとも思った。実際、最初にこの道に入ったところの通りから大通りまでの距離と、これまで進んできた距離を考えても、残りの距離はそこまででもないはずだった。大通りに出た瞬間、同じく道を抜けたりっこと鉢合わせて「あれー」なんて言う未来が容易に想像できた。

特に何のカーブも障害物もないまま、ただただ真っすぐに進んでいくと、また先程と同じような墓地が現れた。意外に大きな墓地なのか、それか少し離れたところにもう一つ墓地があったのかと思いながら進むと、前方にはまた分かれ道である。困ったなぁ、と思っていると「あれー」と予想よりも早いりっこの素っ頓狂な声が聞こえた。

「今度も二人で分かれる?」と提案するりっこだが、私は自分がやって来た道を見て不思議に思った。

「りっこ、今どこから来た?」

りっこは首を傾げて、「そこ」と私がやって来た一本道を指さす。私がやって来た道は本当に完全な一本道で、途中で分かれ道なんてものも無かった。

この矛盾に気が付いたであろうりっこは「戻ろう」と言って自転車にまたがる。私も急いでりっこを追いかけて、私たちは無我夢中で元来た道を戻った。道中、りっこと別れた二股には辿り着かなかった。二回通ったはずの墓地も帰りは何故か一回しか現れず、そのことも余計に怖さを誘う。

私たちは無事に最初の道に戻ってくることができ、「やっぱりいつもの道で帰ろう」ということで、結局家に帰ることが出来たのはいつもの帰宅時間よりも大幅に遅れた時刻だった。身体もすっかり冷え切り、ご飯を食べながら母に叱られ踏んだり蹴ったりである。

急がば回れというのは本当らしい。昔の人はよく言ったものだ。

ハズレ椅子

大学生にもなると、高校まで使っていた教室のあの木机が無性に恋しくなることがたまに無くもない。中学はともかく、高校は上の学年が教室に置き去りにしていったものを譲り受けるスタイルだったから、三年間のうちで一回ぐらいはぐらぐらぐらつくハズレ椅子に当たることがあった、と話すのは私の友人Mである。名を幕人という。幕府の人でマクヒトだ。

彼と同じ高校に通っていた私にも彼の言っていることは分かるものの、幸運にも私は一度もそのハズレ椅子とやらに当たったことが無い。そう言ってやると、幕人は露骨に悔しがるのだった。

俺なんかハズレ椅子のせいで怖い目にあったことがある。不貞腐れたような顔をする幕人は、こんな話をしてくれた。

 

2年に上がって間もないころ、幕人は惜しくもハズレ椅子を引いてしまった。4本足のうち手前の右側だけが若干浮いていて、ノートに何かものを書くたびにがたっとぐらついて、それがストレスで仕方が無かったらしい。

先生に言えば別のものと取り換えてもらえるのだが、替えの机が手に入るのに一週間くらいかかると言われ、そんなに我慢できるかと一人絶望した幕人はその日の放課後自分で何とか修理できないかと誰もいなくなった教室でせっせと机の脚と向き合うことに決めた。

綿密にカットした木片を机の脚の下に挟み、それを透けたマスキングテープで脚に固定したところ、多少のぐらつきは残るもののまあ我慢できないこともない程には改善された。

滅多に発揮しない集中力で疲弊した幕人は床に座り込み、ぼーっと放心状態でいつもより低い目線から教室中を見渡した。その高さからは丁度みんなの机の中がよく見えるらしく、教科書や参考書を詰め込んだ汚い机も、綺麗に整頓された斜め前の席の可愛い女子の机も全部丸見えだった。普段あまり見ることのない景色を見れることが面白く、幕人はその姿勢のまま身体をスライドさせるように横へ滑らせた。

元の位置から二回ほど移動したところで、目の前の机の中の何かと目が合う感じがしたらしく、幕人ははっとしてそのまま息をひそめた。

その机は幕人の友人のもので、けっして綺麗とは言えないもののごく普通に教科書類が詰め込まれた状態だった。それなのに、どういうわけか何かと目が合う感覚がいつまでたっても拭えないのだ。気のせいじゃない、そう確信した幕人は背後を振り向いた。

直感で、視線の主は前方では無く後方にあると思ったのだそうだ。鏡に映った背後の人間の目線を視覚で捉えるような感覚に近い。

振り返ると、幕人の後ろには女子生徒が立っていた。伸ばしっぱなしの黒髪を垂らし、肌の色は白い。顔はよく覚えていないものの、虚ろながらも鋭い眼光をしていたことは印象深く残っている。しかし、いくら思い出そうとしてもその女子生徒の名前を思い出せない。それどころか、これまでに廊下や教室で見かけた記憶すらない。

女子生徒は「(幕人の苗字)」と平坦な声で、幕人の胸元の名札を読み上げるようにして呟いた。幕人が名札を両手で隠した途端、女子生徒はすっと腰をかがめてその場に座り込もうとした。

幕人は反射的に女子生徒の姿が現れるであろう机の下に視線を向けたが、いつまでたっても女子生徒は現れなかった。それどころか、そこにあったはずの足すら存在しない。何もない。

机の天板の上から下に女子生徒の頭が消えるのを見届け、幕人は転がるように教室から出て行った。翌日、教室の鍵をかけ忘れたことで先生からお叱りを受けたのは言うまでもない。

後日、幕人が視線を感じた机の持ち主と話していると、その友人もまたハズレ椅子に当たったことを残念そうにぼやいていたという。

 

あれ実はお前だったんじゃないの、と幕人はおどけるが、あいにく私にはわざわざ遠い教室まで訊ねて幕人に会いに行くというような馬鹿げた趣味は無い。

金次郎と銭

今は歩きスマホを連想させられるといった理由から、二宮金次郎像を設置している小学校も少なくなっているという話を聞く。金次郎像といえば、真夜中に校庭を歩き回っているといった怪談話が有名だが、肝心の金次郎像が無いのではそういった怪談話も次第に消滅してってしまうということで、早くも少し寂しさを感じている。

そういう私が通っていた小学校にも、玄関口の前に立派な金次郎像があった。結構大きくて、なかなか豪華なのだ。そして、校舎の構造上金次郎の頭のてっぺんは非常用の階段から見下ろせるようになっていた。

私の学校の金次郎像は動かない。ただ、金持ちだった。

金次郎が乗せられている石段には、何故か大量の五円玉がまき散らされていた。いつからあるのか分からないような真っ黒いものから、わりと最近発行されたばかりのような綺麗なものまで様々で、おそらくは代々お調子者の生徒が下から投げ込んだか上の階段から落としたのだろう。

それにしても数が多い。

ただ不思議なのは、その見栄えの悪さからか先生たちが定期的に五円玉を撤去しているというのだが、どういうわけか翌日以降になると元の状態に元通りになっている、というのだ。当然真っ黒な五円玉も元に戻っている。

 

ある日、朝の集会でついに校長先生が怒った。もしかしたら教頭先生だったかもしれない。先生たちは当然元通りにしている犯人は生徒の中にいると疑っているのだが、五円玉を生徒たちが下校した後に取り除いたとして、翌日の朝には既に犯行は行われているのだから、つまり先生たちは子供が夜学校に忍び込んでわざわざ五円玉でイタズラをしているとでも思っているのだろうか。

 

とうとう、金次郎像は巨大な網で覆われることになった。金次郎が捕獲されているみたいだからやめておけばいいのに、と私は思ったが、先生たちも意地だったのだろう。

網は目が細かすぎて上から落としたとしても中には入らないし、下から網をどけようにも子供の手では高すぎてとてもではないが届かない。

これで正体不明のイタズラは収まるはずだった。

しかし先生たちの努力も虚しく、網が付けられた翌日も変わらず五円玉がそこにあった。

投げ込まれた五円玉が網をすり抜けたのか、網の中に五円玉が現れたのかは分からない。

ただ噂では、私が小学校を卒業した今でもその金次郎は大量の五円玉を生み出しているらしく、先生たちがこつこつ貯めた五円玉は最近学校の池の鯉を買うために使われたという話だ。