こーちゃん
夏になると、とある親子がうちの近所を散歩しているのを見かける。
初めてその人たちに出会ったのは、私が小学生の頃だった。
私が近所のスーパーでおつかいをして家に帰っていると、向こうから赤ちゃんを抱きかかえたお母さんがゆったりとした足取りで歩いてくる。近くに住んでいる人かな、と思い「こんにちは」と挨拶をすると、あちらもにこやかに微笑んで「こんにちは」と返してくれた。
「おつかい、偉いわね」と女性が話しかけてきたので、そのまま通り過ぎようとしていた私も立ち止まって親子に向き直る。アイスが入っているから早く帰りたい、と思いながらも軽くはにかみ「お母さんたち仕事だから」と答える。本当は夏休みだから母は家にいるのだが、ほめられっぱなしも気まずかったため、咄嗟に適当なことを口走ったのだ。
「こーちゃんっていうの」
女性は私の方に赤ん坊の顔を向ける。
服や顔の雰囲気からして男の子のようだ。髪の色素が薄く、目の下に赤い虫刺されのあとのようなものがある。眠っているらしく、そのこーちゃんという赤ん坊は身動き一つしなかった。
「この間生まれたばかりなのよ」
女性はやはり笑っている。
眠るこーちゃんに対し可愛い、と言ったのだけは覚えているが、その後どうやって私が親子と別れたのかまでは覚えていない。
翌年、私はまたその親子に会った。今度はおつかいではなく、友達と遊びに行った帰りだったはずだ。去年と同じく、女性に向かって「こんにちは」と言うと、「こんにちは」と挨拶が帰って来る。
女性に抱えられたこーちゃんはまた眠っていた。
「可愛いでしょう」と女性が話しかけてくるものだから、「可愛いですね」と言う。女性は本当にこーちゃんが可愛くて仕方がないらしい。
「こーちゃんっていうの」
それだけ言って、女性は行ってしまう。去年も聞いたのにな、とは思ったものの、あちらが忘れているだけだろうと、この時はさほど気にも留めなかった。
異変に気付いたのはその翌年からだった。
私はまたあの親子に会った。
道の向こうから例の親子がやって来る。こーちゃんは、また女性に抱かれていた。その時、私はもう中学生になっていた。何がおかしいのかくらいすぐに分かった。
こーちゃんは、初めに会った赤ん坊の時から一つも大きくなっていない。
もしかしてこーちゃんの弟か妹かな、と胸がざわざわするのを落ちつけようと自分の中で何とか説明を付けてみる。
「こーちゃんっていうの」
通りざまに女性がまた同じことを言う。
まさか。たまたま愛称が一緒なだけの別人だ。
私はそっと赤ん坊の顔を覗き見る。
目の下には、あの日見たのと同じ、赤い虫刺されの跡があった。
それから、親子は必ず毎年家の近所に現れるようになった。
私とすれ違う時は、決まって「こーちゃんっていうの」と赤ん坊の存在を私に伝えてくる。その時の女性の声も、別に恐ろしく低いとか、おぞましいとか、そういうことは全然なくて、ただ穏やかに嬉しそうに、母親が純粋に自分の子供を自慢するような明るいものだった。
私はもう大学生になったが、昨年も家から駅へ向かう途中、あの親子と挨拶を交わした。今年もきっとまた出会うのだろう。
そういえば、こーちゃんは毎度決まって女性の腕の中で眠っているが、いつかこーちゃんが目を覚ますようなことはあるのだろうか。そもそも、こーちゃんは本当に眠っているのか、と今ここで考えてみるわけだが、こういうことはあまり深く詮索しない方がいい。向こうが決めた線引きに素直に従っておくのが、一番平和でどちらにとっても幸せなのだ。